そうだったの~

ちょっと気になる事を、少し深堀りして書いてみようと思いますが、はたしてどうなることやら。

ちょんまげ
 ちょんまげと言えば時代劇でおなじみの髪型だが、実際には明治時代になってから用いられた造語で、それまでは単純に「髷」と呼ばれていたとか。私達が知っている武士のちょんまげは頭頂部(額から後頭部にかけ)毛がなく脇の毛を束ね、頭の上にチョンと載せるもので、頭頂部は青々しているもので昔から「何故」と思っていた。頭頂部に毛がないのは武士が兜を被るので頭が蒸れるためで、実際には毛を抜いていたらしい。「月代(さかやき)」と言い、室町末期から鎌倉時代に掛けて流行したようだが、毛を抜くとは想像もできなかった。江戸時代の戦がなくなったころから我々が知るちょんまげが武士や町人の間で流行し、幕末まで続いたものらしい。また、男性が歳を取ると毛髪が薄くなる人が多く、そのような人が人前に出て恥ずかしい思いをしなくても済むよう、成人男性がすべて月代にしたのが始まりだったとも言われている。戦もなく兜を被ることもないのに、月代のちょんまげの髪型は、おしゃれの一部だったようだ。これで青々とした「月代」の由来も意味も、そうだったの~とそれなりに理解出来ました。2023.11.12

日本の発明?
 インスタントラーメンは日本人の発明とわかりきっているが、インスタントコーヒーも日本人の発明と聞きちょっとびっくり。インスタントコーヒーは コーヒーの消費大国アメリカかヨーロッパだろうと思っていたら大間違い。なんと日本人化学者(シカゴ在住)の「加藤了(サトリ)」さんが、1903年にインスタント・コーヒーの初の米国特許を取得したとある。カフェイン中毒者には満足できないものだったが、そのほかの人にとっては、カスも出ずに申し分ないものだった。事の始まりは、水に溶けるインスタントの緑茶を研究していた加藤さんに、米国のコーヒー輸入業者と焙煎業者が、同氏の水分除去法をコーヒーで可能にと相談したものらしい。考えてみれば、お茶と同じ手軽さでコーヒー が飲めるようにしちゃうとは、いかにも日本人的な発想ですよね。しかし、当時日本では時期が早すぎて、本物のコーヒーの味を知っている人もごくわずかだったためにインスタントコーヒーは売れるはずもなく、事業としては成功しませんでした。水に溶かすインスタント・コーヒーが初めて日の目を見たのは、1771年のイギリス、1885年のアメリカで挑戦したが、すぐに香りがなくなり、製品の貯蔵可能期間が短かったため、すぐさま歴史から姿を消した。その後、スイスのネスレ社が、より改善された製法を開発し、1938年に『ネスカフェ』として製品を市販し、現在に至っているらしい。2023.11.01

「国産牛」って?
 私は食材の買い物は、妻に言われたものを買いに行くぐらいで、料理もした事がない。先日肉屋に行くと「和牛と国産肉」があり、国産なのに値段がえらい違いなんで?と思い、早速ネットを開いてみた。こんなことを知らないのは私ぐらいだろうが、『そうだったの~』と思い書いてみた。
 和牛と呼ばれるのは4種「黒毛和牛」「褐毛和牛」「日本短角種」「無角和種」で、90%が黒部和牛で、国産牛には日本産と外国産があるらしい。外国産は一定期間日本で育てれば国産牛になるとかで、”産地偽装やり放題”と言うような決まりとなっていた。
 ここからは国産の牛の話、当たり前の話ですが、ウシには肉牛と乳牛があり、肉牛のうち最高級のものを和牛と銘打っている。一方の乳牛も忘れてしまいがちですが、乳牛にだってオスはいるのです。このオスの乳牛は当然オッパイは出ません。しかし、オスがいなければ子どもはつくれない、でも大きくなるまで育てても乳が採れない。といって処分するのももったいないしと苦悩した酪農家が、一部の種牛だけを残して、ほかの雄牛は食べてしまおうという事になった。乳牛はホルスタイン種だが、オスの乳牛を食用にするためには肉質をよくするために去勢する必要があり、このウシは「ホル抜き」という。ホル抜き牛は、そもそも肉牛とはいえず、店頭で「ホル抜き」と呼ぶのもあんまりだし、輸入牛と並べられるのもシャクであり、苦肉の策で「国産牛」という表現になったとの事でした。2023.10.7

本場所の土俵
 9月10日に大相撲秋場所が、両国国技館で始まった。相撲にはあまり関心がないが、その昔、相撲の土俵には縁起物が埋めてあると耳にしたことを思い出し、暇つぶしにネットを開いてみた。
 実際には縁起を担ぐ意味で「勝栗・昆布・洗米・スルメ・塩・榧(カヤ)の実」の6品が埋められている。これらは神様への供物であり、本場所初日の前日に行われる土俵入りで、土俵の中央に15cm四方の穴を掘り、そこに「鎮めもの」として埋めることになっている。土俵造りは、土俵の神様を呼び寄せ、土俵の邪気を払う意味もあり、五穀豊穣、国家安泰、土俵の無事を祈る儀式で、埋められたものは場所中ずっとそのままになっているとか。
 この土俵づくりは、呼び出しの大きな仕事の一つでもあり、本場所の土俵は「呼出し」40名が総動員で3日間かけて土に少量のセメント混ぜてつくる。TVで見ると「呼出し」って相撲取り上がりとは違ったようすだが、どうも相撲体験に関係なく19歳以上の男子なら、誰でも応募できるらしい。ちなみに昆布は喜ぶ、スルメは保存食で長持ち、幸せを長持ちさせ足が10本でおあし(お金)が多い、でお金持ちになるとか。また、榧の実は食べると長生きをすると言われ、木は成長が遅く、木材として使えるようになるまでは100年からかかり、その材は木造仏や高級な将棋盤に使われ、縁起の良い貴重な木とされている。
 こういう神事として扱われてきた相撲界、昨今来日して活躍している外国人力士に「望んで日本の相撲界の来たのでしょう!」と言う日本人目線で、従順に従いなさいでいいのかな。外国人力士の人気を頼りにしているなかで「相撲界の審議会」がそもそも論で仕切ろうとしている姿勢は如何なものかと思っている私です。  2023.9.15

パトカー 
 洋画で見る外国のパトカーはカラフルでチェックやストライプに入ったしゃれたデザインのものが多くみられる。日本のように白と黒の地味な色は珍しいのでないかと思い、いわれを調べてみた。そしたら驚いたことに私が生まれた時にはまだ日本にパトカーは存在していなかったとか。
 日本の警察にパトカーが導入されたのは、昭和25年6月に当時自治体警察であった警視庁に、アメリカ軍で使用されていた3台の無線警ら車が配置されたのが最初とされている。当時第二次世界大戦後の混乱期で、強盗や殺傷事件が多発していたことが導入のきっかけとなり、最初の配備では、GHQの公安課が自治体警察による自動車警ら活動を指示したことによる警ら開始だった。当初は米軍のおさがりのジープモデルの白色が採用されていた。しかしながら当時の道路事情は、未舗装道路が殆どで、車体の汚れが激しく、当時の警察官を悩ませてもいた。当時、日本で生産されて車の色は殆どが白で一般車と区別がつかないため、車体の下半分を黒く塗り、一目見ただけでパトカーとわかるようにしたのが始まりらしい。
 ちなみに白と黒のパトカーカラーは(〇〇県警とか書かなければ)誰でも使用できるという事です。パトカーを見ると、何故かドキッとするこの心理を利用して、このパトカーカラーの車両を増やし犯罪や交通事故防止に協力しましょう。貴方も今度はパトカーカラーのマイカー如何ですか? ご近所にパトカーカラーの車が何台もあると、ちょっとは安心できるかな  2023.9.5

移動する植物
 はっきりとした雨季と乾季がある岩山に生息し、水の無い時はボールのように丸まって雨を待ち、長い干ばつが続くと自ら根を切りはなし、風に吹かれて水捜しの旅に出る植物がある。多い時には一週間で1.5kmも移動し、再び水を得ると丸まった葉が広がり、中心部分にある葉緑体が水と光で光合成をおこない、緑色に変わるしだ植物がある。
 日本に生息する「イワヒバ」の近縁種にあたり『テマリカタヒバ』と呼ばれる。
 乾燥に強く乾季を迎えると植物全体の95%の水分が抜けても枯れることなく乾季を乗り越えるために全体的に茶色に変色し、葉を閉じ丸まった状態で、余分な活動をしない「休眠」に似た状態で水を待つ。そして自ら根を切りはなし風に任せ大きく移動して移動先で生き残れる植物があるとはビックリです。
 テマリカタヒバは茶色く乾燥し枯れているように見えても、水を浴びると再び葉を広げることから「復活草」と呼ばれ、主に観賞用植物として扱われている。また「トレハロース」と呼ばれる高い保水力を持つ成分を多く含み、保湿効果が期待されているため、化粧品の材料としても使われ、漢方薬として使用されることも多く、風邪やのどの痛みを和らげる効果への期待が高いとか。2023.8.29


『アカデミー賞』
 毎年世界中から注目を集める『アカデミー賞』ってそもそもどんな賞なのか、賞金はどれくらいなのかちょっと調べてみた。
 映画全盛時代の1920年の頃、ハリウッドの撮影所では小道具係や照明係などの専門職が中心となって労働組合を結成し、賃金の上乗せや労働条件の改善などを求め、経営陣と対立していた。当時権力をもっていたMGM映画副社長兼総支配人のルイス・B・メイヤーは、何らかの手を打たなければ、いずれ職人だけでなく俳優や監督、脚本家たちも組合を作る可能性があると危機感を持った。そこでメイヤーは懐柔策として、親しい俳優・監督・映画製作者協会を自宅に招き、組合に先手を打って経営者主導の労使協調の組織を作ることを提案した。1927年、その思惑にそってメイヤーが考える「映画製作のエリート」275人が集められ「映画芸術アカデミー」を発足し現在に至っている。
 メイヤーは組合対策(賃金や労働条件)の対立を避けるため、表向きではあくまでも組織は「映画芸術および科学の質の向上をはかること」など様々な目的を掲げた。
 その一つの方法として、大衆の前で褒められたいという「承認欲求」をくすぐり『優れた業績に対する表彰』という形で「アカデミー賞」が生まれた。気になるアカデミー賞の賞金はないとの事です。
 今では、このアカデミー賞の受賞作は莫大な興行収益があり、今年の“エブエブ”では製作費22億円で興行収益190億円にもなるというから驚きです。

そういえば私も現役の頃「営業コンテスト」なるものを企画し、表彰状と記念品で競争意識を煽り、営業成績増進を図ったことがある。こういう時はトップセールスほど大きく成績を伸ばし効果抜群で年に一回くらい行い、いい思いをさせて戴いたことがある。 2023.08.26

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